人事のプロはなぜオランダに渡ったか。登山がルーツの生存戦略

今回登場いただくのは、オランダ在住の人事コンサルタント鈴木秀匡さんです。現地の日系企業をサポートしながら、オンラインで日本国内の企業の案件も引き受けています。なぜ、オランダで? どういう経緯で? と知りたいことが山積みです。日本滞在中の貴重なお時間をいただき、まずは過去のキャリアからお話を伺いました。(2021/7/31 インタビュー)

本対談は徹底した感染症対策のもと実施されておりますが、撮影時のみマスクを外しております。ご了承ください。

鈴木秀匡

アルプス電気株式会社、株式会社日立製作所、アマゾンジャパン合同会社等を経て、HRコンサルタントに。現在はオランダに在住し、Synaps Life 人事顧問や財団法人JACOPの副会長を務める。日本酒をこよなく愛する諸行無常の人事マン。

廣田 真一

未経験からITの世界に入り、ERP導入コンサルタント、フリーランス(PMO/新規事業PJ)、社内SE(社内システム企画/情シス)を経て株式会社Number「SaaS人材のチャンピオンサーチ」事業責任者。大企業からベンチャーまであらゆる事業規模のITコンサルティングを手掛ける。得意領域はワークフローのデジタル化、制度会計/販売管理。推しツールはServiceNow。

山の名前で会社を選び、出向先でリストラ推進役に

廣田
廣田

キャリアのスタートから人事担当だったのでしょうか?

鈴木:はい、最初はアルプス電気株式会社(以下、アルプス電気)という電子部品を製造している会社に新卒で入社しました。新卒と言っても、実は山岳部でずっと登山ばかりしていたので、単位を落として留年してからの入社です。アルプス電気を志望したのも、山の名前がついているからという安直な理由です。面接では「なぜその社名にしたのですか?」などと質問ばかりしたのが逆に気に入られたのかもしれません。人事も希望していたわけではなく、当初は財務希望でした。配属は面談で決定するなどたまたまで、その偶然性が私のキャリアのスタートです。

廣田:たまたまで、コンサルタントになれる人もなかなかいないと思うのですが。

鈴木:キャリアプランは結構適当で、コンサルも考えたことはありません。ひたすら目の前の仕事へ取組んできたことと、その延長線上の人との縁の積み重ねてやってきたわけですが、自分もまさかこんなキャリアに紡がれるとは思いませんでした。実際に、最初のアルプス電気に入社した当初はこの会社で定年を迎えると思っていましたから。

廣田:アルプス電気は、今はアルプスアルパイン株式会社ですね。

鈴木:アルパイン株式会社(以下、アルパイン)はもともとアルプス電気と米モトローラの合弁会社です。現在は2019年に親会社のアルプス電気と経営統合しています。私の2社目はアルプス電気からアルパインへの出向です。

廣田
廣田

アルパインではどのような担当をされたのですか?

鈴木
鈴木

人材開発チームのリーダーとして出向したのですが、実際はリストラの推進役としての比重が大きいです。

鈴木:終身雇用制を前提にするとリストラは、やっぱりその人の人生を壊すようなものです。退職勧奨や非正社員の雇止めを告げた社員から「最後までいるつもりだったのに」と言われたことは今でも耳に残っています。

鈴木:当時のアルパイン本社所在地は福島県のいわき市でそれほど大きな街ではありません。日常の買い物とか子どもが通う幼稚園で従業員や派遣社員とよく会いました。ガソリンスタンドに寄っても従業員の親が働いていて、私や私の家族のことに気づくことがありました。

廣田:当時のことが今も強く記憶に残っていることが伝わってきます。

鈴木:そうですね……、まぁ仕事ということで淡々とやるしかなかったのですが、やはりこれ以上続けられないということで転職活動を始めました。それまでほとんど本社勤務ということもあり採用担当や教育担当、労務担当などと縦割りで断片的にしか人事の仕事をしてきませんでした。そのため業務全体を俯瞰したいという気持ちがあり、一気通貫で人事や総務を担当できる工場などの現場配属を希望しました。そこで拾ってもらったのが株式会社日立製作所(以下、日立)です。

廣田
廣田

日立こそ大企業なので業務がかなり細分化されていそうですが。

鈴木:私もそう思って最初はお断りしました。いやいや、もっと小さいところに行きたいですと。すると要望を聞いてくれて、日立グループの中で課長と主任しかいない小さい事業所を探してくれました。希望通りの部署ですし、条件も悪くないので転職した途端に、国内の製造業で当時史上最大の7800億円の最終赤字です。

廣田:リーマン・ショックの翌年です。

鈴木:はい、この決算を受けて重厚長大型からの転換を目指した改革が進みました。この内容が相当サプライズで、私のいた小さな事業所が8つのカンパニーのうちの1つに異例の格上げとなりました。ところが急に今日からカンパニーだといわれても、それに足る人員はいません。しっかりした組織と人員があるほかのカンパニーと横に並べて照らし合わせるとこちらは一人何役もこなさなければ回りません。

廣田:具体的に当時はどのような状況だったのですか?

鈴木:まずは事業所に部長がいませんでしたので、ほかのカンパニーで部長が担当している仕事を課長が担当しました。課長はそれで忙しいので、主任の私が課長の仕事を担当するしかありません。さらに私は統括主任という役職でした。ほかのカンパニーには、庶務主任とか採用主任とか教育主任とか細かくいろいろな主任がいるので、それぞれに対して私一人で対応しなければなりません。

廣田:いくつ体があっても足りませんね。相当なハードワークだったのではないでしょうか?

鈴木:不満を抱く暇もないくらいに働きました。むしろ自分の後ろには誰も責任を取る人がいない、物事をやり切るしかないラストマンの立場を経験できたので、楽しかったですね。改めて今思うと結果的に幸運でした。部課長の代理で会議に出席し、各担当に分かれた主任会議にもそれぞれ出席したことで、人事の仕事を一度に上下左右に幅広く見渡すことができたので。

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